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デジカメの衰退・スマホの興隆についての考察;デジカメを殺したのはスマホカメラではなくスマホアプリ

「ホーム画面に並ぶアプリ」の写真

 

デジカメの衰退とスマホ(のカメラ)の興隆の流れを振り返るに、この流れの本質は何だったのか、とよく考えるのだけど、自分の中でそれっぽい結論が出たので記しておく。

コミュニケーション手段としての映像記録機材

以下の考察は、カメラビジネスを成立させていた圧倒的大多数の人にとっては、

『デジカメ・スマホなどの映像(写真や動画)記録機材は、映像を介した他者とのコミュニケーション手段の1つ』

であるという前提をもとにした。

映像記録機材を、コミュニケーション手段ではなく、自己表現手段として用いる(たとえば、芸術としての映像『作品』を作り上げるような)ケースについては、マーケットの動向を決めるほどの圧倒的多数ではないはずなので考察の対象外とした。このようなケースについては別途考察して後述した。

映像記録の変遷

人と人との「コミュニケーション手段としての映像記録機材」としては、ざっくり言って

絵画 → フィルム/デジタルカメラ → 携帯/スマホ

という流れがあると思っているのだけど、それぞれの手段が持つ本質的な価値は、以下であると考えられる。

手段 特徴
絵画 目の前にない光景を人と共有できる
フィルムカメラ (同上)+特別なスキル(絵を描くスキル)がなくても共有できる
デジタルカメラ

(同上)+『撮影してから人と共有するまで』の時間的&経済的コストを少なくした*1

携帯・スマホ

(同上)+『撮影してから人と共有するまで』の時間的コストを0に近づけた*2

 

余談になるけれど、近年の『センサ性能やレンズ性能、ざっくりいえば画質の向上』は、メーカー間での競争優位性を得ることはあっても、映像記録手段自体の本質的な価値には、特に影響を与えないと思われる。

逆説的ながら、本質的な価値には影響が少ないから、2020年現在、『写真はスマホで良くない?』と考える人が大多数になっていると考える。

自分自身、人とその場の感情を共有することを前提とした写真であれば、大幅に画質が落ちてさえスマホが良いと思う。

映像記録の本質的価値;デジカメに対するスマホの圧倒的な優位性

変遷とともに、その本質的な価値について考えてみたら、つきつめれば、映像記録の本質は

『他者と、目の前にない光景を、共有(コミュニケーション)できる』

点であるという結論に至った。

この結論から考えて

『スマホ自体が、そもそも情報を人と共有する(コミュニケーションする)ためのデバイスである』

という点から、本質的な価値を備えたスマホは、デジカメに対して圧倒的な優位性を備えており、この点で完全にデジカメの「上位互換」のかたちになっていると考える。

ここで「上位互換」と呼んだ意味をより噛み砕いて言うなら、

デジカメによる撮影がどんなに楽にできても、スマホがないと即時共有はできない(スマホの併用が必須となる)。一方、スマホは撮影が多少手間であったりしても、即時共有できる(スマホだけで自己完結できる)。

現代のスマホは「人と人とのコミュニケーションに使われるデバイス」としての絶対的地位を占めているので、デジカメに単に通信機能が付いた程度では、ふだんの情報共有手段であるスマホに撮影データを渡す流れにならざるを得ず、

どうやっても、スマホに撮影機能が付いたほうが、時間的コストを少なくできる。

・・・

つまりは、

『コミュニケーション手段におけるコミュニケーションそのもの』

という基本的にして最も価値のある部分を、スマホに抑えられてしまったことが、デジカメの敗因と考えられる。*3

 

デジカメ衰退の始まり

そう考えていくと、写メが登場した2000年(だっけ?)あたりから、デジカメの衰退の可能性が生まれ始めたとも言える。

今更言っても詮無いことではあるけど、ガラケーで写メが流行りだした頃から、この流れは必然だったのではないだろうか。最も、その頃のガラケーはメーカー・機種ごとに技術的な制限が数多く、通信環境もまだまだ整っていなかった。そのため、映像記録の即時共有性には難があり、誰とでも気軽に共有できるとは言い難かったように思うのだけど…。

iPhone, Androidを主とするスマホが登場したあたりから、標準技術(誰もが共通して使えるコミュニケーション用アプリ)の発展と通信技術の発展とによって誰とでも気軽に映像記録を共有できるようになってきた。このあたりの環境が整い出す前(2010年頃)がデジカメのピークで、それ以降*4にデジカメの興隆に陰りが出てきたのは、当然の結末だったように思う。

『万人が共通に使えるスマホアプリ(コミュニケーションツール)が整った』

のが引き金だったのではないだろうか。

もはや「デジカメ」というデバイスの衰退は不可避であり、「映像記録(写真やビデオ)」という文化を今後スマホが担うであろうことは極めて合理的な流れな気がする。

デジカメが生き残る可能性

コミュニケーション手段としてだけではない、例えば、自己表現のための撮影機材としてのデジカメ(≒プロ用機材としてのデジカメ)は、差別化が何かしらできそうなので、「しばらく」は生き残れそうな気はする。

物理的に有利な点

「しばらく」の時間的なスパンは、『物理的な限界』がキーになってくるかなと思う。

・・・

現時点で考えられる『物理的な限界』としては、たとえば、「センサの1画素あたりが受ける光子の数」。

小型センサで高画素化が進むと、低照度下では、センサの1画素に届く光子の数が数えられるほどになってしまい熱ノイズと区別がつかなくなる、さらに突き進めば限りなく0になるので、何も写らなくなる。

つまり、そのときが高画素化の物理限界で、こうなってしまうと「低照度下で」かつ「高速移動する」被写体の撮影は上手く出来ない。

現状では、足りない情報をAIで補完したり複数枚合成という対抗手段があるものの、何も写ってなければ(情報が0の状態では)どうしようもない(はず)。

もっとも、2020年12月現在、地味にスマホのセンササイズが大きくなってきていることもあり、物理限界レベルまで高画素化が進むことは無い気がする。また、何か他のブレイクスルーが起きて、もっと良くなる可能性はある。

・・・

他に、たとえば、ボディの物理的なサイズ。

スマホを大きくすると、スマホとしての機能性が落ちる(本来の役割;コミュニケーション手段としての役割に適さなくなる)のであまり大きくすることはできない、と思われる。

撮影道具として使いやすい物理形状を提供できる点では、デジカメに軍配が上がるかも知れない。

もっとも、スマホの機能がスマートグラスのようなもので実現されると、最適なUIが変わってくるので、物理サイズの議論は無意味になるかも知れない。

美術用品としてのデジカメ

現代においても、絵画道具がマイナーながらも毅然として美術用品の1つとして生き残っているように、

「しばらく」の間は、デジカメが美術用品の1つとして生き残っている可能性はありそうに思う。

とすれば、この場合は、職人の道具といった位置づけになると思われる。

デジカメの良さを示す指標としては、「ファインダーの見え味」や「使い心地」といったあたりがキーワードになるのだろうか。

既に、このあたりにこだわっていくことを宣言しているSIGMAやPENTAXは当面、生き残りそうな気がしないでもない。

何であれいつか終わりは訪れる

なお、「しばらくの間」より先になると残っていない気がする。

ので、『デジカメを楽しむなら今かもしれない』と思う今日このごろ。

 余談:ビジネスの観点から見た映像記録というマーケット

YouTubeが成功した商業的な要因の1つには、視聴者のニーズをテレビより的確に把握できる(→ピンポイントで広告を打てる→費用対効果が高い→広告費が集まりやすい)のが大きいかなぁ、

とか考えていたら、視聴者のニーズをより詳細に、リアルタイムで把握できる ARが次世代メディアになり得るのかなぁと思った。

カメラアプリにリアルタイムに広告が出る代わりに無料、のスマホとか出てきそうだなぁと(かなり嫌だな…)。次点で、写真管理アプリも広告打つ場としてあり得るか。

・・・

写真には、撮影者の意図が色濃く出るから、撮影者の無意識のニーズさえも汲みれそうだし、かなり強力な販促メディアになりそうに思う。(いや、しかし、これはディストピアすぎる…)

視界に映されたホログラフィーに広告が出まくるSF作品ってわりとよく見かけるのだけど、改めて考えてみると、現実の延長として妥当な感がある。閑話休題。

・・・

Googleと Apple が膨大なコストをかけてカメラ機能を強化している先(未来)に見ているものは、ARなのかもなぁ、と思った。

・・・

翻って、デジカメ市場は、全世界で2兆円/年くらい。対して、広告市場は、全世界で60兆円〜/年 らしい(すごいてきとうな調べ)

『メーカーが研究開発にかけられる予算、は見込める売上に比例する』と考えれば、

デジカメのプロ向け市場は、1兆円/年あるかも怪しく、ここまで市場規模が小さいと、わざわざAppleや Googleが潤沢に予算をかけて狙ってくることはないかもしれない。だとすると、美術用品としてのデジカメは今後も生き残るだろうか。

ただ、Appleや Googleが『コンシューマ向けにカメラ機能の開発を進めていたら、どこかの段階でプロにも使えるレベルを越える』という可能性もなきにしもあらず。

・・・

やはり、デジカメにお金をかけるなら今なのでは(楽しめるものは楽しめるときに楽しむ派)

 

*1:第3者の介在(フィルムの現像や印刷作業)が不要に

*2:スマホ自体がコミュニケーション手段そのものなため

*3:スマホ優勢になった今だからこそ言える話ではあるけれど、デジカメが『映像記録機材』という括りに縛られて、共有方法にまで手を伸ばしてこなかったことが敗因とも言える。『いや、"デジカメが共有方法まで機能として内包する必要性"なんて気づかないだろ、常識的に考えて』と言われればそうなのだけど。

*4:たとえば、LINEが日本で使えるようになったのは2011年頃。それまでもメッセージングアプリは多々あったが、LINE普及で一気に一般への普及にはずみがついたように思う。